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東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)127号 判決

原告 ボルチモア・エアコイル・コンパニー・インコーポレーテツド

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

この判決に対する上告期間につき、附加期間を九〇日とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告は、「特許庁が昭和五〇年審判第三七三三号事件について昭和五三年二月三日にした審決を取消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、主文第一、二項同旨の判決を求めた。

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「蒸発式熱交換器」とする発明につき、いずれもアメリカ合衆国においてした一九六九年一月三一日、同年五月二一日及び同年一〇月二七日の各特許出願に基づく優先権を主張して、昭和四五年一月二九日特許出願をした(以下、この発明を「本願発明」という。)ところ、昭和四九年一二月二日拒絶査定を受けたので、昭和五〇年五月二日これに対する審判を請求し、特許庁昭和五〇年審判第三七三三号事件として審理されたが、昭和五三年二月三日右審判の請求は成り立たない旨の審決があり、その審決の謄本は同年三月二五日原告に送達された(なお、出訴期間として三か月が附加された。)。

二  本願発明の要旨

空気取入口、導管部、下部、排気口を画成する手段、水を導管部に噴霧し、空気を空気取入口に導入し水と共に導管部、下部を通過せしめる手段、噴霧水を集める手段、外形うちわ型、断面卵形の噴霧水を噴射し、排気口において排気の流れを誘導するように配置されたノズルを含む水噴射手段よりなる蒸発式熱交換器。(別紙図面(一)参照)

三  本件審決の理由の要点

本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

これに対し、本願発明の優先権主張日前に日本国内において頒布された刊行物である特許出願公告昭三八―五三八号公報(以下、「引用例」という。)には、「空気取入口、塔体、下部、排気口を画成する手段、水を塔体に噴霧し、空気を空気取入口に導入し水と共に塔体、下部を通過せしめる手段、液体飛散防止具及び液体槽を含む水噴射手段よりなる液体冷却塔」について記載されている(別紙図面(二)参照)。

本願発明と引用例に記載の技術とを対比すると、引用例の「塔体」、「液体飛散防止具及び液体槽」及び「液体冷却塔」は、それぞれ本願発明の「導管部」、「噴霧水を集める手段」及び「蒸発式熱交換器」に該当することは明らかであるから、本願発明は、引用例に記載の技術に比べて、〈1〉噴霧水の形状が外形うちわ型、断面卵形である点及び〈2〉排気口に、排気の流れを誘導するように配置されたノズルを有する点の二点においてのみ相違するものと認められる。

そこで、前記相違点〈1〉について検討するに、噴霧水の形状を外形うちわ型、断面卵形にすることは、噴霧装置において従来周知である(実公昭三一―一一二五三号公報、実公昭三一―一〇六四八号公報参照)ので、この点は当業者が容易になしうる程度の設計事項にすぎないものと認められ、また、前記相違点〈2〉について検討すると、排気口に、排気の流れを誘導するようにノズルを配置することは、当業者間において周知の技術である(内田秀雄編集「冷凍機械工学ハンドブツク」昭和四〇年一月三〇日株式会社朝倉書店初版発行、第四二六頁、第四二七頁「図6・5」及び「C・煙突型自然通風式冷却塔」参照)ので、この点は当業者が適宜採用しうる程度の単なる設計事項にすぎないものと認められる。

したがつて、本願発明は、引用例に記載の技術に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。

四  本件審決の取消事由

引用例に記載の技術が審決認定のとおりであること、本願発明と引用例に記載の技術とが審決認定の相違点〈1〉及び相違点〈2〉においてのみ相違することは、いずれも争わないが、本件審決には、次のとおり、これを違法として取消すべき事由がある。

1  審決は相違点〈1〉についての判断を誤つたものである。

審決は、相違点〈1〉について、「噴霧水の形状を外形うちわ型、断面卵形にすることは、噴霧装置において従来周知の技術である(実公昭三一―一一二五三号公報、実公昭三一―一〇六四八号公報参照)ので、この点は当業者が容易になしうる程度の設計事項にすぎない」という。

しかしながら、本願発明においては、このような特殊な形状の噴霧水を用いることにより、水に対する空気の割合を最大にし、注入した水と導入した空気との間の相対速度を大きくし、水と空気との熱交換面積を大きくし、構造及び作動が安価であることと相まつて、全体としての効率のよい蒸発式熱交換器を得ることができるものである(明細書第五頁一六行目ないし二〇行目)。

これに対し、審決が周知例として掲げる前記実用新案公報には、なるほど、水などの液体を撤布するための扁平扇形の噴霧を生ずる噴霧装置は開示されているが、これは断面卵形のものというよりは単に全く扁平で、一様の厚さの噴霧を得る(実公昭三一―一〇六四八号公報右欄九行目、一〇行目)こと、又は最小量の水で広範囲に撤布する(実公昭三一―一一二五三号公報第一頁右欄六行目、七行目)ことを目的としているものである。そして、これらの実用新案公報には、これらの噴霧を蒸発式熱交換器に用いることについては開示も示唆もなく、それが蒸発式熱交換においてどのような効果を奏するかについても示唆するところはない。さらに、これら実用新案公報の噴霧装置を引用例の冷却塔と組合わせた場合、得られる冷却塔は本願発明のものとはその構造機能を全く異にしたものであり、本願発明の効果を奏しえないことは明らかである。

本願発明に係る断面卵形の噴霧水は、断面円形のものに比し、基本的に二つの優れた点を有する。すなわち、(1)導管を通してより多くの空気を吸入できる。(2)空気と水との間に、より良好な相対速度を生ずる。

円形噴霧では、卵形噴霧に比べ、より多くの運動量又はエネルギーが所望の空気の流れ方向から離れた方向へ費され又は放出される。この場合、運動エネルギーを水から空気へ伝えるのが目的であるので、水が空気の流れの主な方向から外れた方向へ動くと運動エネルギーの損失となる。

熱交換を行なうには、水と空気との間の相対速度が高いことが望ましいが、卵形噴霧は円形噴霧に比し、空気の進行する方向と同方向において、水の速度がより大である。さらに、卵形噴霧は円形噴霧に比べ伝熱のための表面積が大きい。これは卵形噴霧の側面が平らなシート状の表面を有するからである。

2  審決は相違点〈2〉についての判断を誤つたものである。

審決は、相違点〈2〉について、「排気口に、排気の流れを誘導すべくノズルを配置することは、当業者間において周知の技術である(内田秀雄編集「冷凍機械工学ハンドブツク」昭和四〇年一月三〇日株式会社朝倉書店初版発行、第四二六頁、第四二七頁「図6・5」及び「C・煙突型自然通風式冷却塔」参照)」という。

しかし、右文献には、ノズルについては全く開示がない。図6・5において「散水装置」と表示してある水平に置かれたパイプの下部には散水孔(一種のノズル)が多数穿設されていると思われるが、このノズルからの水の噴射は下方に向けられており、ここでは排気の流れは逆に上方に向つており、このノズルからの水の噴射により排気の流れが上方に誘導されているとは考えられない。排気はノズルではなく、その煙突型構造によつて上方へ誘導されているのである。したがつて、右参考文献に記載されたものは、「排気口に、排気の流れを誘導するように配置されたノズル」ではない。

また、ノズルは、被告が主張するような「ダクト」、「山積部(スタツク)」あるいは「煙突状構造体」(前記図6・5)のような大口径の筒状体を意味するものではない。ノズルは、「筒状で尖端の細孔より流体を噴出する装置の一般的呼称」といわれるように、「細孔」を有するものであつて、例えば本願発明の図面第8図の63、63a、64、64a、第15図の87のようなノズルを意味するものである。

なお、本願発明のノズルは、「外形うちわ型、断面卵形の噴霧水を噴射し、排気口において排気の流れを誘導するように配置されたノズル」であつて、これは引用例には開示がない。

第三被告の陳述

一  請求の原因一ないし三の事実は、いずれも認める。

二  同四の審決取消事由の主張は争う。審決に原告主張のような誤りはない。

1  (相違点〈1〉について)

噴霧装置において噴霧水の形状を断面卵形にすることは、周知例として挙げた実公昭三一―一一二五三号公報及び実公昭三一―一〇六四八号公報を見るまでもなく、従来周知の技術であり、そして、このような従来周知の技術を蒸発式熱交換器の噴霧装置に適用しても、噴霧水の形状が断面円形の蒸発式熱交換器と比較して効果に格別の差違が生じるものとは認められないことは、本願発明の明細書の詳細な説明及び図面中に噴霧水の形状が断面卵形の実施例と共に断面円形の実施例が多数存在していることからみて明らかである。甲第九号証(エドワード・エヌ・シンナーの宣誓供述書)に記載された断面卵形スプレーと円錐形スプレーとの冷却塔における冷却効率の差は、効果に格別の差違があるといいうる程度のものではない。

なお、「卵形」が具体的にどのような形状を指すのか必ずしも明確ではない。例えば、鶏卵の形状と亀の卵の球形の形状とでは、かなりの相違がある。仮に、本願発明の図面の第12図に示されたものを「卵形」と規定するならば(これは、単に全く扁平な形に類するものである。)、周知例として挙げた実公昭三一―一一二五三号公報及び実公昭三一―一〇六四八号公報のものも「卵形」といえる。

したがつて、蒸発式熱交換器の噴霧水の形状を断面卵形にすることは、当業者が容易になしうる程度の設計事項にすぎないものであり、この点についての審決の認定判断に違法はない。

2  (相違点〈2〉について)

本願発明における「ノズル」とは、明細書の発明の詳細な説明において「ダクト」(例えば、第1図及び第2図において符号21ないし24で示されるもの)あるいは「山積部」(例えば、第7図において符号44、第8図において符号62で示されるもの)と称されるものである。

それは、明細書の発明の詳細な説明で、「これらダクトは暖い空気を上方に導き遮板25の水平平面上の大気に排出し」(明細書第八頁一七行目ないし一九行目)、「温かく飽和した空気は上昇する傾向があり、この空気は中心山積部62の傾斜部分と共働して口部75から高速で排出される」(第一六頁一六行目ないし一九行目)、「ベンチユリーの空気導入口の上の排出区域まで空気を導く共通排出山積部」(第二五頁一八行目ないし二〇行目)と記載されていること、すなわち、それら発明の詳細な説明中の記載は、特許請求の範囲の「排気口において排気の流れを誘導するように配置されたノズル」と同義であること、並びに「ノズル」が「先の細くなつた筒口、筒先」であり、発明の詳細な説明及び図面に示された「ダクト」あるいは「山積部」と同様の構成のものを表現する言葉であることからも明らかである。

したがつて、本願発明の「排気口において排気の流れを誘導するように配置されたノズル」なる部分は、排気の流れを誘導するノズル、すなわち、ダクトあるいは山積部が排気口に配置されていることを意味するものと解されるが、周知例として挙げた内田秀雄編集「冷凍機械工学ハンドブツク」昭和四〇年一月三〇日株式会社朝倉書店初版発行、第四二六頁、第四二七頁「図6・5」及び「C・煙突型自然通風式冷却塔」には、排気口に煙突状の山積部、すなわち、ノズルを配置し、そのノズルで排気の流れを誘導するようにしたものが記載されている。右のとおりであるから、「排気口に排気の流れを誘導するようにノズルを配置することは、当業者が適宜採用しうる程度の単なる設計事項にすぎない」とした審決の認定判断に誤りはない。

仮に、本願発明における「ノズル」が、原告主張のように、本願発明の図面第8図の63、63a、64、64a、第15図の87のようなノズルを意味するものであるとしても、そのような「ノズル」は引用例のものも具備している(引用例の噴射ノズル5」)ので、この点に発明があるとすることはできない。

第四証拠関係〈省略〉

理由

一  請求の原因一ないし三の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、審決にこれを取消すべき違法の点があるかどうかについて判断する。

(一)  原告は、審決は噴霧水の形状を外形うちわ型、断面卵形にすることは噴霧装置において従来周知の技術であるとして、実公昭三一―一一二五三号公報(以下「周知例一」という。)、実公昭三一―一〇六四八号公報(以下「周知例二」という。)を挙げるが、これら周知例には噴霧水の断面が卵形のものは示されていない旨主張する。

ところで、成立について争いのない甲第二号証(本願発明の出願当初の明細書)及び同甲第三号証(昭和五〇年五月二日付手続補正書)によれば、原告は、本件出願の拒絶査定に対し審判を請求するに際して、出願当初の明細書の特許請求の範囲を事実摘示第二の二記載のごとく訂正したが、発明の詳細な説明の項及び図面は全然訂正することがなかつたこと、訂正後の特許請求の範囲中には、噴霧水に関し、「断面卵形の噴霧水を噴射し」なる文言が用いられているが、出願当初の明細書中には、特許請求の範囲においても、発明の詳細な説明の項においても、右の文言は一切使用されておらず、わずかに出願当初の図面(第12図)において、断面が細長い紡錘形の噴霧水の形状が記載されている(ただし、第5図には断面円形の噴霧水の形状も記載されている。)に止まることが認められる。

右のような出願の経過にかんがみると、原告が、特許請求の範囲において、「断面卵形の噴霧水を噴射し」なる文言を含むものとしてした補正は、明細書の要旨を変更するものとして却下されるべきものである(特許法第五三条、第一五九条)か、あるいは、少なくとも出願当初の図面第12図に記載された断面が細長い紡錘形の噴霧水の形状をもつて、なお断面卵形の噴霧水の形状が記載されているものとし、特許法第四一条により、明細書の要旨が変更されていないと取扱うとしても、断面卵形の噴霧水を噴射することは明細書の発明の詳細な説明に、発明の構成に欠くことができない事項として記載されていない(第4図、5図には断面円形の噴霧水の形状も記載されている。)のであるから、特許法第三六条第五項、第四九条、第五〇条、第一五九条第二項により拒絶されるべきものと考えられるが、最小限、本願発明の特許請求の範囲に記載された「断面卵形の噴霧水」とは、せいぜい出願当初の図面に記載された、断面が細長い紡錘形の噴霧水の形状程度のものを指すにすぎないものと解されるところ、周知例一、二に記載された噴霧水の断面もこの程度の形状をしているものと認められるから、右周知例を挙げて、噴霧水の形状を「断面卵形」にすることは噴霧装置において従来周知の技術であるとした審決の判断は、結局において誤りがないものとすべきである。

原告は、また、周知例一、二の噴霧を本願発明のような蒸発式熱交換器に用いることは、右周知例には開示もなく示唆もない旨主張するが、液体の噴霧であることについては別に変りがあるわけではないから、原告の主張は理由がない。

(二)  原告は、審決認定の、本願発明と引用例との相違点〈2〉につき、審決は、「排気口に、排気の流れを誘導すべく、ノズルを配置することは、当業者間において周知の技術である。」とし、周知例として甲第七号証の一ないし三を挙げるが、右甲号証にはノズルからの水の噴射により、排気口に排気の流れを誘導することは記載されていないから、審決はその判断を誤つたものである旨主張する。

なるほど、成立について争いのない甲第七号証の二には、ノズルからの水の噴射により、排気口に排気の流れを誘導することは記載されておらず、冷却塔の下部から入つた空気が冷却塔の上部に設けられた煙突により排気されていることが示されているのみであるから、右甲号証には、排気口に、排気の流れを誘導すべくノズルを配置することが記載されているとした審決の判断は誤つているものといわなければならない。

この点に関し、被告は、本願発明でいう「ノズル」とは、明細書の発明の詳細な説明書で「ダクト」(例えば、第1図及び第2図において符号21ないし24で示されるもの)あるいは「山積部」(例えば第7図において符号44、第8図において符号62で示されるもの)と称しているものであり、甲第七号証の二には、排気口に煙突状の、本願明細書の発明の詳細な説明でいう山積部、すなわち、ノズルを配置し、そのノズルで排気の流れを誘導するようにしたものが記載されている旨主張する。

しかしながら、ノズルとは、「筒状で尖端の細孔より流体を噴出する装置」(成立について争いのない甲第八号証)であり、本願明細書(甲第二号証)の発明の詳細な説明の項及び図面でも「ノズル」をこの意味を有するものとして使用しており(例えば第六項二〇行目、第七項四行目、第1図で符号10をもつて示されるもの)、被告が主張するような「ダクト」あるいは「山積部」をノズルとしているものとは認められないから、被告の前記主張は理由がない。

しかしながら、引用例(成立について争いのない甲第四号証)のものは、「送風機不使用の液体運動力による噴射式液体冷却塔」であつて、塔体の上部に噴射ノズルが設けられ、その噴射ノズルから一定液体圧によつて液体が噴射され、その噴射の液体運動力により、塔体の空気を吸引又は誘引し、塔体内で液体と空気とが接触した後、空気は排気孔から外気に放出されるものであることが認められ、引用例が特許出願公告された日(昭和三八年一月三〇日)にかんがみると右技術は本願発明の特許出願当時周知のものであつたということができるから、「排気口に、排気の流れを誘導するようにノズルを配置する」ことは周知の技術であると判断した審決は、結局において誤りがないことになる。

三  よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の付与につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第一五八条第二項の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高林克巳 楠賢二 杉山伸顕)

別紙図面(一)〈省略〉

別紙〈省略〉

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